
Instagramをチェックしたら、フォローしている方々の写真が次々とアップされていたのですが、その中に懐かしい写真を見つけました。
4年前、2018年1月25日、超新星(現SUPERNOVA)のメンバー、ゴニルが21カ月の兵役を終えて除隊した時のものでした。
当時、私はメディアの人間としてはただ一人、現場で取材を敢行しました。その何日か前だったかに所属事務所の日本ブランチのトップだったAさんから、「当然取材に来ますよね? 各社さん、みんな来てくれますよ」と電話で誘いを受けました。その言葉を信じて急きょ渡韓を決めたのでしたが…取材関係者は私のほかに、誰もいませんでした(笑)。

除隊日前日の24日にソウルに入ったものの、部隊がある江原道鉄原郡は、とてつもなく遠方に位置。当初の話では事務所の車で現地まで連れて行ってもらえるとのことでしたが、現地で韓国事務所のスタッフとやりとりをしたら、事情が変わり、それが難しいということが判明しました。
あれれ、話が違うじゃん(涙)。これは一大事です。
部隊がある場所は、鉄道や路線バスで行くのは不可能な場所。タクシーで行くにしても相当に高額な料金を覚悟しなければなりません。完全にお手上げ状態です。とはいえ、韓国に来たわけですから、「なにがなんでも現地に行かなければ」と思案をめぐらせました。
とりあえず地下鉄1号線で一番北の方にある道峰山駅まで行って、そこからタクシーに乗り継いで行くことも考えたのですが、地図を見る限り「絶対に無理だなぁ」。車で鉄原まで無償で行ってくれる友人がいないかも考えましたが、もちろんそんな暇な人などいるわけありません。
半ばあきらめかけていた時に、救いの手が! 以前から知り合いのゴニルファン、Kさんも当然のごとくお出迎えのため現地入りしていたのですが、彼女と運よく連絡が取れ(どうやって連絡を取ったのかについての経緯は失念)、仲間たちとチャーターした車に乗せて行ってくださるとのこと。なんという、ありがたいお言葉でしょう。翌日の早朝に梨泰院(イテウォン)にあるハミルトンホテルで落ち合う約束をし、ホッとひと安心したのでした。
現場に行く目途が立ったことですっかり気力も回復。韓国のチング、パクちゃんに連絡をとり、夕食を共にすることになりました。一軒目では刺し身を食べ、2軒目は屋台へ。そこで終わりとなる予定でしたが、彼の奥さんが合流するということで3次会に突入。そこで盛り上がってしまい、チャミスルやマッコリを飲み過ぎてしまいました。



とても楽しい時間だったのですが、これが大失敗。一応、翌日の早朝出発に備え、梨泰院に戻り、安宿を見つけてチェックインを済ませたところで、吐き気が…。少し横になれば大丈夫かなと横になったのですが、この状況で横たわれば眠ってしまうのは必然の流れ。
目を覚まして時計を見ると、すでに約束の時間は過ぎていました。スマホを見ると、何度もKさんから連絡をいただいていたことに気づきました。

いやぁ~、やっちまった!
もうダメだぁ。現地に行くすべを失ってしまいました。完全に戦意喪失状態です。
ところが…。そんなところにナント、電話がプルルル…。Kさんからでした。彼女たちはすでに出発してしまったとのことでしたが、「いまならまだ大丈夫」ということで、わざわざハミルトンホテルまで引き返して来てくださったのです。まさに女神降臨です。私を乗せ、鉄原郡の白骨(ペッコル)部隊に向けて改めて出発することになりました。
本当に申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいでしたが、現地に向かう車の中では、吐き気を抑えるのに必死の状態。ということで現地に向かう途中の記憶はあまり定かではありません。

どうにかこうにか無事に現場に到着。吐き気はある程度を収まっておりましたが、車を降りると、あまりの寒さで死にそうです。私は基本的には寒さにめっぽう強い方なのですが、さすがにマイナス20度を超えるのは無理です。
25年以上に及ぶ芸能記者生活の中で、トップ3に入る「厳寒取材」となりました。ちなみに残る2つは、1990年9月に北島三郎モスクワ公演の取材で経験したモスクワの寒さ、2003年1月に平井堅の「MTV UNPLUGGED LIVE」の取材で訪れたニューヨークの寒さです。
話を鉄原に戻しますが、あまりの寒ささえもぶっ飛ぶぐらいの衝撃が私の頭を突き刺しました。なんと、取材用のカメラがない! カバンの中をいくらひっかきまわしても見つかりません。やってしまいました。前日、チングの事務所に行った際に忘れてきてしまったのです。
アイゴー!!
唖然茫然です。絶望感を乗り越え、なんとか鉄原入りできたのに、肝心の商売道具を忘れてしまうなんて。こうなったらスマホで写真を撮るしかありません。ところが、さらに追い打ちをかけるような悲劇が…。あまりの寒さのせいか、スマホの電源が何度も落ちるのです。
そうこうしているうちにゴニル君が部隊から出て来ました。厳寒の地までお迎えに駆けつけてくれた熱烈なファンの方々と握手をしたり、笑顔で会話を交わしながら久しぶりの再会を楽しんでいました。記念写真を撮ったり、サービス満点です。現場にはメンバーのソンジェも駆けつけ、ライブ配信していました。

ひと通りの”儀式”を終えたところで私もちょっとだけ時間をもらい、現場で即席のインタビューをさせていただくことができました。その映像がYouTubeに残っていたので以下に拝借させていただきます。
短いながらも取材に応じてくれたゴニル君、ありがとう。
この後、ゴニル君はソンジェ君や事務所の方々と食事に向かいました。私はKさんご一行と再びソウルへ向けて戻ることになりました。途中、事務所のマネジャーの女の子から電話が…。どうやら「一緒に食事を」との予定だったようですが、連絡が遅れてしまったとのことでした。
私は早く原稿を書く必要があり、すでにソウルに向けて出発していたので、「気にしないでください」と伝え、そのままソウルに一直線。車中では再び吐き気に襲われしんどかったのですが、ソウル市内に入ったところで、やばかったので車を降りることに。本当にKさんをはじめ同行のファンの皆さまには感謝の言葉しかありません。
そこからの記憶は定かではないのですが、たしかカフェに飛び込み、原稿の執筆にとりかかったんだと思います。やっとこさ原稿を仕上げて記事をアップしたのですが、またまた衝撃的な出来事が。
実は事務所側が事前に作っていたオフィシャル原稿を日本のスポーツ新聞や韓流メディアに向けて配信しており、私がソウルに戻るまでに「ゴニル除隊」の記事がネット上にあふれかえっていたのです。
現場で記事が書ければよかったのですが、Kさん一行に同乗させてもらえないとソウルに戻れないため、執筆はソウルに戻った後となってしまいました。
取材に行った唯一の記者の記事がなんと最後にアップされるという不条理にどっと疲れがでてしまいました。とはいえ、自分だけしか聞いていない話もあるので、そうした話を盛り込んでサイトにアップしました。ぜひ読み比べてください。
オフィシャル記事を基に仕上げた記事はコチラ→★
独自取材の内容を盛り込んだ記事はコチラ→★

翌日、遅れて来韓した某テレビ局のSさん、Wさんと旧知の4人でゴニル君と会い、彼がハマっているというお気に入りのカムジャタン店に連れて行ってもらいました。ホント、おいしかった~。
食事を終えた後は、梨泰院に移動しカフェでまったり。ゴニル君の提案でチムチルバンに行くことになりましたが、私は帰国日だったので、3人に別れを告げ、帰国の途に就きました。
それにしてもなかなか経験することのできない、壮絶な取材でした。いい思い出でもあります。